今日の札幌は30度近い気温でじっとしていても汗が出てきます。
そんな中、今日は朝から芸術の森美術館に行ってきました。
札幌駅から車で30分ほど、市内の外れにある美術館ですが、自然に囲まれていて時には薪能が開催されたりする良い場所です。

コロナの影響で中止かしらと心配していましたが、
時間制限入場することで開催されています。

蜷川実花さんは映画『さくらん』をイメージしていただくと
その色彩センスがお分かりいただけるでしょうか。

今回の写真展は、そうした華やかな色使いの作品を期待して行ってきたのです。
しかしブースを進むと、そこには死がテーマの作品が並んでいました。

原色で溢れかえる花の写真から、有名人の写真のコーナーは実に綺羅綺羅しくて生のエネルギーに満ちています。
入り口には桜の展示室があり天井以外は桜の写真で埋め尽くされていました。

画像1

そしてこの桜がキーワードとなり、死の作品に繋がっていたのです。

画像2

それはお父さんの蜷川幸雄さんとの別れでした。
お父さんが倒れて亡くなるまでの日常を撮った作品です。
明るい光に照らされた白いブースに静謐な日常がありました。

日本人にとって桜は特別な存在です。
春、いっせいに芽吹く花々の中でも桜は特別です。
生のエネルギーをこれでもかと魅せる桜たちは圧巻ですが、
我々日本人はそこに「死」を感じ取ることができるのです。

満開の桜は精神に変調をきたすと言われていますが
満開の桜を観ているときの不思議な高揚感は、そうした作用なのかもしれません(春先は季節的にメンタルが崩れやすいからかしら?)

では、なぜ桜に死を感じるのでしょう。

私は、梶井基次郎、西行などがその作品に書いたことが記憶に残っているからだと思っていたのです。
でもそれなら、なぜ古代から日本人は桜に特別な想いを馳せていたのか?
説明がつきません。

けれど蜷川実花さんがお父さんの死を「うつくしい日々」として、
まぶしいほどの光を切り取った作品たちが死とは何かを語っているようです。

「みんな生きて死ぬ。その繰り返し」

桜に死を感じるのは日本人だけだそうですが、その感性を誇らしくさえ思うのです。

カウンセラーとしてグリーフケアに携わることがあります。
大切な方を亡くされた方へのケアですが、死の捉え方も人それぞれです。
けれど死は特別なことではなく、日常の一コマ。
蜷川実花展は、そんな当たり前のことを思い出させてくれたのでした。

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